H270408記載
言い切ることの難しさ:事実と証拠の問題と絡めて(一般向け)
私の書いたものでもそうですが、ブログで、法律を書くときに、「言い切ることのムズカシさ」が、どうしてもあります。
- ある一定の事例を前提にすれば・・・
- ある事実が認められれば・・・
という前提が常にあるからです。
法律論は、基本、もっとも重要なのは、「事実」の問題です。この「事実」は、必ずしも「真実」とは限りません。証拠によって認定される、もっといえば、証拠によって裁判官が認定する事実、それこそが、裁判での「真実」となります。
なるだけ、裁判での「真実」につながるように努力することが、弁護士の最も重要な仕事の一つです。
同じ証拠でも、出し方や、主張の仕方によっては、裁判官に伝わりにくい場合もあります。
多くの証拠を、バサッと出すだけでは、あまりよくありません。
法律は、世の中にある多数で複雑な問題を、法律というモノサシで解決の指針を与えるものです。いうなれば、切り取りであり、切り捨てであります。色々な事情がある場合も、基本は、法律というモノサシで解決してしまう。そうだからこそ、見通しもつくし、個々の場当たり的な判断を避けることが出来ます。
逆にいえば、本人には重要な事実とおもっていても、法律のモノサシには関係のないこともあります。このような事実を取捨選択して適切に裁判官に伝える役目が弁護士にはあります。
このブログでは、言い切ることのムズカシさもわかったうえで、書いている場合が多いです。なるだけ、その分岐点となる、またはポイントとなる事実関係を書いた上で、こうならばこう!こうならばこう!ということを書いているつもりです。
また、同時に、原則・例外論にも関係があります。たいてい言い切っているのは、原則論が極めて強く例外がほとんど認められない場合です。
たとえば、20年を経過した場合の時効の問題で、時効期間を経過しているのはもちろん、時効中断のように延長戦もない、「時効の除斥期間」の問題があります。この場合、原則論でいえば、ほとんど無理な場合です。ただし、極めて例外的に、除斥期間が排斥される場合があります。
また、たとえば、不当訴訟の問題もそうでしょうか。不当訴訟は、正当な権利行使の最も通常の態様である、訴訟提起を問題にするものです。そのため、普通は、不当訴訟にならない、という強い原則論があります。
これらの場合には、基本とか、原則とか書いている場合があるも、それを覆すのは、かなり大変という意味が込められています。なるだけ判るようには書いていますが、ああ、例外もあるんだという軽い意味ではありません。そういう場合は、あえて言い切っている場合があります。これもブログの中では、なるだけ書いてはいますが、とても伝わりにくいものといえます。
ぜひ、お問い合わせで、そして、それからつながる法律相談で、お願いします。基本的に、ブログやメールでは全部を伝えきることはできません。
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